山根万理奈がニュー・アルバム『海とダイヤ』を完成させた。

 

YouTubeの“顔を出さないギター弾き語り動画”で話題を集めメジャー・デビュー。そして活動の場をインディーズに移し、制作資金をネット上で募るクラウドファンディングという手法でアルバムを作り始めて5作目となる本作で、特典のひとつ“オリジナルソング制作”を、自身の武器となる“無限大のテーマを名曲に仕上げる”境地にまで昇華させた。そして“最高のバンド・メンバー”と思えるプロデューサー兼サウンドクリエイターと出会い、“万理奈節”炸裂の最高傑作を生み出した。

 

状況を楽しみながらアーティストとしての魅力を磨き続けて辿り着いた、山根万理奈の現在の心境を訊いた。

 

取材・文/浅野保志(ぴあ)

 

 

 

 

―――――2015年発表の『愛と妄想、25歳。』では、“今の私”をテーマに一発録り、2016年発表の『山根万理奈とマリナッチ楽団』ではファンも含めた楽団様式を具現化して“旅と音楽と出会い”をコンセプトにアルバムを作りました。そして2017年発表の前作『YAMANEMAN』は、クラウドファンディングのオリジナルソング制作という特典をお題にした楽曲が全曲を占めるなど、とてもコンセプチュアルな作品が続いている印象を受けます。今回はなにかコンセプトを基に制作されたのですか?

 

今回アルバムとしてテーマを掲げて作ろうというスタートではなくて、結果としてリクエスト曲が多数を占めるアルバムになりましたね。でも前回も作ってみてそうでしたけど、リクエストいただいた方の想いを私が酌みとって私のフィルターを通して曲が出来て、その曲がどんどんそのリクエスト内容を知らない人にも曲として届いて広がっていったんですよ。それは作っていても面白いし喜びでもあるしすごいよかったので、結果的に今回もそういうアルバムになりました。ファンからのお題は曲作りの段階ですごいセッション感があって面白いです。

 

―――――なにかご自分の中でテーマを掲げているのですか? なにも情報を持たずに聴いた印象では、万理奈さんの作品でベースに貫かれている“感動する”、“泣ける”こと満載のアルバムという印象だったのですが

 

(情報を持たずに聴いた印象)それを訊きたいですね(笑)。

 

―――――琴線に触れる聴きどころがお題を受け取って作ることで、どんどん守備範囲が広がっている印象ですね。万理奈さんが持っているいろんな魅力の中で僕が一番好きな部分の比率がグッと上がっています。

 

“ズバリ、それは?”って訊いてもいいですか(笑)。

 

―――――孤独や、“本当はこうしたい”ところからの距離感を、いじけることも自棄になることもなく、でも諦めることもなく視線を前に向けているところが好きなんです。“詞を先に作ったか? 曲を先に作ったか?”とか、“この曲はお題があったのかな?”とか想像しながら聴いて、言葉に込められている心の揺れの部分、柔らかい部分に刺さってくる曲が僕は一番好きで、それを作品として生み出せる万理奈さんが好きなのだと思います。詞の細かい部分のこだわりに圧倒されます。設計図のようですね。

 

確かに“設計図”系なのかもしれないですね。自分ではずっと“フィーリング”系だと思っていました()。感情的に曲を書いていても、“ええかっこしい”、“ちゃんとしたい”みたいな性格が曲に出てるのかな。ヘンですね。アルバムとしてのコンセプトとかではないけど11曲のメッセージが明確だから、“こういうふうに言おう”みたいなことはやっぱりすごく考えてますよね。

 

――――アーティストとして、本能的で素材として魅力的なのに、作品を発表するときに整えるというバランスが、他のアーティストにはない万理奈さんの持ち味ですね。

 

ええかっこしいだけど、なんかどこか“正直でいたい”とかもあって(笑)。どうせボロが出るのに全部かっこつけてどうすんだろうみたいな感じなので、そういう言い回しになったりするのかな。照れ隠しかな? 実はすごいシャイなので(笑)。

 

――――ご本人としてはアーティスティックな感じと、作家として技巧派という感じと、どちらの比率が大きいのですか?

 

あんまり考えてないですね。曲によるのかな。“この曲のときはこういう私でいたい”とか。バランスはいろいろかもしれない。このアルバムに関しては、年齢も性別も違う人たちからの、それぞれベクトルの違うリクエストなんですけど、結構自分の年相応っていうか、“今だから書いたんだな”っていう曲ばっかりですね。

 

――――お題に対する曲作りの手腕が上がっているのかもしれないですね。

 

それはそうかもしれないですね。こういう曲作りを経験できたことで、それ以外の方法もどんどん可能性が見えてくるし、やりたくなっちゃうっていうか。

 

――――小説じゃなくて歌だから、描かれたシチュエーションは聴き手が自由に解釈していい訳だから。

 

そうですね。そうであってほしいし。

 

――――親父目線だったり(M11.「親父ブルース」)、お題を作品として良くしてしまう、技術というよりむしろ力業に近いように感じます。すごく不利な体勢だとしても、ケガしてても強引なまでに一本決めちゃうんだ、みたいな(笑)。“山根万理奈という作品”にする筋力が発達しているというか。

 

クラウドファンディングで曲作りを依頼してくれる人の中には、仕掛けてくることを楽しんでいる人もいますからね(笑)。でもそれを“かかってこい!”じゃないですけど受けてたってますね。別に(クラウドファンディングは)アルバムに入れるために11曲を作ってる訳じゃないから。だから“時間かけてでもやりますよ”って言ってるんです、毎回。

 

――――この企画を面白いと思うアーティストはたくさんいると思いますけど、実際にやれる人はなかなかいないですよね。

 

こないだぶっちゃけ訊かれました、他のアーティストに。「今度こういうことやるんですよ、曲作り。万理奈さんはどういうリクエストが来て、どういうふうに作ってるんですか?」って。そんなこと言われてもそれは人によるし(笑)。あなたがどう作りたいか、じゃないのって。私はそれをすごい楽しんでいますね。

 

――――そして今回、曲のクオリティが素晴らしく良いですね。歌い方もさらに深まっている印象を受けました。ボーカリストとしての細かなニュアンス、“声を張る”以外の繊細な部分、ハスキーな感じとか裏声とか、力の抜き方でこんなに切ない情景を歌うんだ、とか、こんなに色っぽいことを色っぽくしないで表現するんだ、とか、ボーカリストとしての多彩な技が炸裂しています。

 

たまに、他のシンガーソングライターの人と、“自分で書いたのに、自分で歌えない”みたいなのが実は“あるよねー”って話をするんですけど(笑)。今回は本当にそれがないというか。

 

――――アルバム・タイトルに「海とダイヤ」(M4.収録)を選んだのはなぜですか?

 

収録されている曲の中で一番最初に出来たのが「海とダイヤ」なんです。最近は友達と会うと“あの人、結婚したらしいよ”とかそういう話が多いんですよ、本当に。まさにこの齢になった今だから書いたなって思います。この曲を作ったときにこのタイトルを付けたのは、アルバム・タイトルのイメージしている意味とはまた違うんですけど、その言葉自体が気に入って。ずーっとアルバム・タイトルをどうしようかなって悩んでるときも「海とダイヤ」という言葉が頭にあったんです。“海”って生命の誕生の地だったり、いつの時代も変わらずに命の源として、象徴としてあり続けてるじゃないですか。“ダイヤ”は、元はただの石だけど価値を見出されて、美しいものとして認識されてる。人の手にかけられて市場に出て、それを必要としてる人がいたりする。その対照的な“海”と“ダイヤ”が並んでるというのが面白いなって思って。それを自分に置き換えたときも、“自分”は在り続けても音楽として求められないと...。自分が信じてるものを出しても求められないと終わってしまうかもしれない。そういう感じがアルバム・タイトルに出ると良いかなって思ったんです。

 

――――曲を作る過程で他に印象的なエピソードをきかせてください。

 

「ハイスクール・モーメント」(M6.収録)という曲は、敢えてサビの歌詞を変えなかったんですね。それがキャッチーだなと思ってそうしたんです。曲で遊んだらいいんじゃないかって思って、サビのメロディを12番と展開するたびに変えましたね。

 

――――歌いまわしが自由になってファルセットになって、と変化する気持ち良さがありましたね。

 

そうですね。歌を録るときもキャラクターに成り切るのが楽しかったし、コーラスもまた別人格で録っていくっていうのがすごいよかったですね。

 

――――サウンドも歌謡曲風なテイストが独特でした。昔懐かしい「ザ・ベストテン」みたいな(笑)。

 

アレンジもそうだし、曲を作る段階でもそれをイメージしたんですよ。意識して作りました。

 

――――歌詞も本来漢字であるところにカタカナを当てたりしてますね。校舎を「コウシャ」としたり、近道を「チカミチ」にしたり。

 

歌詞カードを見たときにちょっと気持ち悪いぐらいがいいなと思って。歌詞の内容が変わった曲なので、それをもっと極端にしたくて。CDにするのだから、ブックレットがあるんだから、そういうところにもこだわりたいですね。

 

――――今回、人権の曲も収録されてますね。結構扱いづらいテーマだと思ったのですが。たいへんそうなお題が来るのはいかがですか。

 

ありがたいですけどね、やっぱり。おっきいタイアップとかじゃなくても、私に作って欲しいって言ってくれてるんだなって思うし。

 

――――それは「こころのてんき」(M7.収録)という曲で、作詞が笠岡西中学校一年生一同というクレジットでしたが、これはどういう経緯で?

 

岡山県の「笠岡市人間人権週間のつどい」というイベントで、“あなたが思う人権”というテーマに応募された作品で。“友達のことだったり学校のことだったり、身近なことでいいんですよ”っていうテーマで応募してきた中での優勝者ですね。

 

――――この詞のテイストと、書いたのが中学生というギャップにびっくりしました。

 

私も訊きたいですもん(笑)。“どういう感じでこうなったの?”って訊きたかったけど残念ながらそういう機会はなかった。どういうふうにこの詞をまとめたのかな。入賞した詞にちょっと手を加えている部分もあるんですけど、基本的に私が好きな部分は残してます。どういうふうにこの詞が出来たのかっていうのは、私自身も“詞を作る人”としてすごい気になった。確かに元の詞と今の曲になった詞を比べると、ゴールが見えるようにはしたな、って思います、自分で。それはなかったです、元の詞には。私の解釈ではあるんですけど、このメッセージが伝わるにはどういうふうに曲にしたらいいんだろうなっていうのを大事にしましたね。

 

―――――書いた本人たちに聴いてもらって曲の感想とか訊けたんですか?

 

聴いてもらうっていうよりも、もうその場で初めて「発表します」みたいな感じでその式典に私も参加してそこで歌ったんです。その選ばれた中学生の何人かが私の後ろで歌を聴いているっていう(笑)。ステージに立ってるんですよ、本人たち。初めて本人たちも聴くのに、なぜかステージでお客さんと向き合って聴いてるっていう(笑)。でも「感動しました」ってすごい言ってもらえて、ある意味私も貴重な体験でしたね。

 

――――その中学生たちの人生を変えた出来事でしょうね、自分たちの書いた詞が曲になってCDに収録されるというのは。

 

(笑)。なにかそういうふうに思い出に残ってくれたらいいなって思うし、この詞のことを忘れないで欲しいなって思いますね。CDを聴いたら彼ら、びっくりしますね。その日は弾き語りですから、全然違いますからね、印象が。敢えて歌もレコーディングするときに不器用なままで歌おうって思って。そこはすごい気をつけたというか。

 

――――「親父ブルース」(M11.収録)もよく世界観を確立させましたよね。

 

“私が歌っていいのかな”みたいなテーマだったけど、ちゃんと着地できた。“結婚式のときにお父さんに歌って欲しいな”って思いますよ(笑)。

 

――――この曲は、お題としてはどんなオーダーが寄せられたのですか?

 

私に近い歳のひとり娘が居る方で、「彼氏を紹介してもらったんだよね。結婚も近いんだけど、俺自身もちゃんと大人になったのかなって思うんだよね」みたいな感じだったので、その二重の意味を持たせたくて。“娘が旅立つ喜び”と、“俺って?”みたいなところを両方出すっていうのがまず大前提で、結構それは難しいんですよ。破綻しちゃうっていうか。曲調に関しても希望があったので、詞と曲を同時進行で作っていく感じになっていったんですけど、もうとにかく難しくって。

 

――――万理奈さんはここまでお題を基に世界観を見事に作ることが出来るんだから、曲に留まらずドラマや映画の脚本とか書いたりすることもできそうですね。

 

確かに、詞を書くときは“絵が見えてる”ときはありますね。

 

――――――そして今回のアルバムを作る上でサウンド・クリエイトの面でも画期的な変化があったようですね。僕、なにも情報を持っていない状態でアルバムを聴いて、「参加されたミュージシャンたちのクレジットを教えてください」ってオファーしちゃったんですよね(苦笑)。それくらい個性の異なるギタリスト、ベーシスト、ドラマー、キーボーディストがたくさん集って、このアルバムのオケを作ったとしか思えなかったんです。それくらい楽器のプレイ・スタイルや音色やアレンジが多岐に渡っていた。ところが帰ってきた答えは「別府克彦さんひとりです」。資料も「produced,recorded,mixed and mastered by 別府克彦」というクレジットのみ。つまり別府さんという方おひとりでサウンド面の全てを手掛けたという。別府さんを起用した経緯を教えていただけますか? 同郷(島根県松江市出身)の方なんですね。

 

そうなんですよ。

 

――――そもそもの出会いのきっかけは?

 

別府さんという人の存在は元々知ってたんですけど、地元ローカルテレビのテーマソングを作る機会があったんですよ、何人かで。そのレコーディングを担当してくださったのが別府さんで、そのときに初めて会いました。そこから何年か経って、地元のCMソングとかをお話いただくことがあって、そのトラックを作るときにこのタイミングで別府さんに頼んだらいいんじゃないかなって閃いたんです。アルバムの話をする前ですね。実際に別府さんのスタジオに行ったり一緒に1曲作ったのがきっかけでここに至る、という。

 

――――アルバムを任せたいということに至った心情をおきかせください。

 

別府さん自身のアイデアとか感性も素晴らしいんですけど、例えば(事務所社長の)畑さんだったり私だったりが何か意見を言うじゃないですか。それをすぐにキャッチして応えてくださる感じとか、それがすぐ出来たから。これは“チームとして合うね”ということですよね。それで信頼感が生まれて。

 

――――別府さんご自身にアルバム全体を任せたいとオファーしたときの反応は?

 

別府さんは別府さんで、すごい喜んでくださって...。私、地元ではまあまあ知ってもらってるんですよ(笑)。別府さんも私のオファーを喜んでくださって。“ぜひ!”っていうので、まだ新しい曲も聴いてもらってない段階で、すごい盛り上がってくださって。それが嬉しかったですね、単純に。

 

――――これだけ心にグッとくるポイントがたくさんあるアルバムの音の部分を作ったのが、たったひとりだったことにまんまと騙されたというか(苦笑)。収録された12曲のサウンドを細かく聴いていくと、別府さんの守備範囲の広さに圧倒されますね。

 

相当細かい指示を出させてもらって、でもそれをすぐわかってくださる。いい!と思うことは取り敢えずやってみる。私もすごい弾き上げてくれたギターを、「ちょっとイメージと違うのでカットしてください」とか、全然言っちゃったし。でもそういうやりとりがすごい出来たから。

 

――――そういう意見やアイデアのキャッチボールを経て、このサウンドに辿り着いてるんですね。

 

相当やってますね、だからいい“バンド”なんですよ。ドラムの音ひとつでも「これはリンゴ・スターで」とか「これはカーマイン・アピスで」とか。もしそのアーティストを知らなかったら聴いた上で取り組んでくれたし。それを全部短期間ですごい早くやってくれた。本当に「ありがとうございます」っていうか(笑)。

 

――――サウンドを作る上でどんなイメージをオーダーしたのですか?

 

最初、今回の音の作り方はもうちょっとオシャレなアルバムにしようとしてて。だけどやり始めたら、正直オシャレじゃない方がいいなっていう曲が多くなってきて、やっぱり曲に合わせて変えていきました。私が曲を作った時点でも、結構自分でデモっていうか、弾き語りだけじゃなくてリズムの音を入れたりしてたんですよ。だからサウンドのイメージがレコーディングの前に、最初から1個デモとして在ったんですけど、アルバム最後に収録した「島はいつくし地球の唄」(M12.収録)は、あんまりイメージが湧かなくて。だから別府さんのアイデアで「バンドっぽい感じ」って言われて、“あっバンドなんだ”って。もっとアコースティックだと思ってたから、どうかな?って思ったけど実際にやってみたらすごい良くって。最終的に本当に、いい3ピースで。私、3ピース好きなんですけど(笑)。いいバンドだなって。こうしたらもっとカッコよくなる、今回はそれを手を抜かずにどの曲でもやりました。出来る人がいると頑張れるんですね。

 

――――別府さんという技術と人柄とスピードに満足できる人が出てきたから、自分がやりたいことを形にしてくれるという武器を得た万理奈さんとしては、思い切り自分の作りたいアルバムを作ることが出来た訳ですね。

 

                                                                                                                                                                                                                                                   

 

私事で恐縮だが、僕は雑誌「ぴあ」の編集者だった頃、当時レコード会社のプロデューサーで、現在バーガーインレコードを主宰する畑さんにたいへんお世話になった。しばらくご無沙汰していたが、突然いただいたメールで、畑さんが“今手掛けている”と紹介されて万理奈さんの音楽と出逢ったとき、激しい衝撃を受けた。アルバム『愛と妄想、25歳。』で、“今の私”をコンセプトに等身大の自分を描いたというこの作品で、詞の切なく繊細な日常の描き方、心の奥底を絶妙に震わせる哀愁と意志の強さが共存する歌声、その全てに惚れてしまった。過去に発表されたアルバムを遡り、全国各地を廻るツアーで一番近い日程の下北沢の公演に赴き、「どうしても取材させて欲しいんです」とインタビューを申し込み、横浜市の一軒家のスタジオに押しかけレコーディングの様子をレポート配信したこともあった。

 

万理奈さんのアルバムが完成するたびに、僕はドキドキしながら何度も何度も聴いては、新たな引き出しから才能が溢れ出す彼女の魅力を堪能させてもらっている。『海とダイヤ』は、僕の想像と期待を上回る、実に素晴らしいアルバムだった。明確なコンセプトが示される訳でもない。ファンからのお題を基にした曲がどれくらいの割合を占めるのかもわからない。メロディを最大限魅力的に引き立てることに徹しているサウンド。抜群のクオリティを誇る曲が並び、歌詞は心の揺れを切なく描く。言葉の響きやリフレインの中で微妙に変化するなど細部にまでこだわりが行き届いている。“感情的”と“緻密さ”。“明確”と“混沌”。“えーかっこしい”と“正直”。“天才肌”と“技巧派”。“両極”を絶妙なバランスで成立させるこのアルバムは、これまで万理奈さんが生み出してきた作品の中でも群を抜いている。

 

新しい曲を作って世に発表する方法として、クラウドファンディングを使って“自分の曲を聴きたい”というファンの気持ちを積み上げて、そのお礼として“想い”を募って曲にするという手段を積み上げて、これまでにないアイデアと心の揺れを描くアルバムを産み落とす。畑さんと二人三脚の“ユニット”で切磋琢磨を積み重ね、そのユニットで新しく生まれた曲を携えて全国各地年間100回を超えるステージに立つために旅に出る....。

 

実直で愚直で誠実で、そんな遠回りにも思える方法で活動を続ける山根万理奈。その活動は確かに遠回りかもしれない。それでも彼女は実に楽しそうに、あっけらかんと今日もステージに立っている。今回もアルバム『海とダイヤ』を携えて、41日(日)から722日(日)まで、全国各地を廻ってその魅力をファンに直接届ける旅に出る。ぜひとも噛み締めて欲しい。万理奈さんの音楽には中毒性がある。一度その中毒に侵されてしまうともう逃れることはできない。僕は日々を過ごす中で、ふと彼女の感受性を思い出したり、浸ったり、救われたりする。ぜひとも味わって欲しい。いつの間にかその存在が自分にとって欠かせないもの、かけがえのないものに膨らんでいく感覚を。